子供の育て方

子供の育て方

これは、永遠のテーマですね 管理人自身 高校生と大学生の子供がいます。
まだ子育てが終わったとは言えませんが、随分と手がかからなくなりました。

私が子育てで気を使った点と言えば、ありのままの子供達を愛することだけだった様に感じます。

兄弟を比較することも、極力しないようにし、勉強やスポーツも出来るから好きとか、出来ないから駄目とはいいませんでした。

それは、長男が生まれる時に早産になりそうになり、妊娠8ヶ月から絶対安静を医師から宣告され、病院のベットで出産するまで寝たきりの生活を送りました。

この寝たきりは、ベットの上で起き上がることも駄目でした。つまり食事はもちろん、排せつも管を通し、大きい便さえベットで看護師の補助を受けていました。髪を洗うのでさえ介護用の寝たきりでできる用具を使い、たまに髪を洗ってもらっていました。 そうです寝たきりの状態を強制的にしいられました。窓の外の景色さえ見ることもできず、病院のベットから天井を眺めていました。

本を読んだり、ゲームをしたりはしましたが、たぶん普通ではない生活を送りましたがその時に願ったのは一つ「五体満足で生まれてくれるなら、起き上がる事は絶対しない」「神様、この子が元気で生まれるなら他は何もいらないです」と毎日祈っていました。

今思えばこの時の想いが、元気で生まれてくれたら他は望まないと深く思っていあたからだと思います。

産まれてからもいろいろ心配なことが湧きあがりました。他の赤ちゃんと発達が遅いのではないか?等々新米ママはいつもおどおどしていました。

弟も生まれ、無我夢中で子育てしていました。心配性の性格からあれこれと心配していた中で、医師から一冊の本を紹介されました。子供の病気をメインにかいてある医学書ともいえる本でしたが、その中で一番驚いたのは、子供は出来るだけのびのびと育てる裸足で園庭を駆け回れる保育園、散歩や自然を大事にする保育園で小さい時に幼児教育は必要ないとの一文でした。

子供達が通った保育園の園長さんも「小学生になれば嫌でも算数をやったり、人と比較したりすることになる、小学校になるまではもっと大事なことを体と心で感じることが大事」

先生との面談の機会でも、私はあれもこれもと心配ごとか数限りなくあり先生に質問しようとした時に、先生が「この子のことで心配することは何もありません」と言ってくれたのです。担任の先生はベテラン先生でもうすぐ退職する位の先生でした。 この先生の一言で、私の子育ては大きくかわりました。

あれこれ、心配するのは自分の子供がかわいいから、他の子と違うと心配になるのも親心ですが、もっと大きく物事をみなくてはいけないと考えさせられました。一緒にいられる時間はできるだけ外に連れ出し公園や河原で遊ばせ

一緒に居られる時間を大切にしてきました。子供達の笑顔をみることが何より幸せでしたから、習い事すら子供がやりたいと言わなければしませんでした。

だんだんと成長してくると他の子どもと自分の子供を比較することもありましたが、勉強が出来る能力や運動が出来る能力など、生きていく中でそれほど重要なことではないと考え、出来ても出来なくても、賢くても賢くなくてもその子、その子でいいところがあるそれだけでよく、「ありのままの子供でいい」と、常に子供にも話ましたし、接してきました。

そんなんじゃあ駄目という意見もありそうですが、親は子供が助けを求めてきた時に愛情持って接し、後は子供の気持ちを尊重するというスタイルです。

それが、親と意見が違っても仕方がないと どうしてか
親の人生ではないからという思いです。親の期待に応える為の人生でも 何か
人と比較して優越感を感じる人生ではなく、過去の自分と比較して自分が成長できたことを褒めたり、自分がこうしたい上手く行かないことばかりだけど
自分できめたのなら、後悔もしないだろうと考えているからです。

そんな矢先に、医師の動画で子は線路を引いてどんどん育っていく、たまに線路の石をどけてやる位がちょうどいいとはなしていました。

線路を何処までも親が引いてあげてばかりいると、30代になっても独りで部屋も借りれな親ばなれできない子供になる。

小さい時は四六時中親がかりですが、その時は永遠に続くわけではなく
今思えば一瞬、私の人生ではなく、彼らの人生を彼らの頭で考え進み、助けを求められたらその時は全力で助ける位がちょうといい。

勉強が出来る能力や運動が出来る能力の他にも子供には無限の可能性があり
その子のありのままの好きを大事にしてやることが子育てで大切だと考えます。

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